深見千三郎の粋(いき)(No.128)

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今回は深見千三郎という芸人さんについてです。

まず、深見千三郎という人について、ほとんどの読者は知らないと思います。 今からおよそ40年前、明治大学工学部4年生の北野武という学生が、4年生でありながら無謀にも明治大学を中退し、 浅草六区のフランス座に転がり込んで、師匠として師事したのがほかならぬこの深見千三郎師匠だったのであります。

私が考えますに、ビートたけしという人は、大変運の良い人だと思います。 たとえば、講談社に殴り込みを掛けて監獄に入れられた後、平気でカムバックできる芸人は、そうはいません。

また、バイクの事故で人相が変わるほどの瀕死の重傷を負って、 その後事故以前を凌駕する問題意識の高い映画を作れる映画監督もそうはいません。

しかし、ビートたけしという人の運の良さを最も典型的にあらわすものは、 明治大学を中退して何もわからない素人としてふらっとフランス座に入ってきて、 よりによってこの深見千三郎を師匠にできたというこの偶然の一点にこそあります。

それほどに、深見千三郎という芸人は、ビートたけしにとって理想的なお師匠さんだったのであります。 しかし、この深見千三郎さん、浅草の小屋には出演しますが、テレビには絶対出ません!  したがって、その顔や芸、まして人となりを知っている人はあまりいません。

しかし、めったに他人をほめないビートたけしが深見師匠を語る時、その粋を絶賛しています。 ということで、以下にビートたけしの深見千三郎の粋を敬愛する文章を引用します。

 師匠の深見さんにも、ずいぶんいろんなことを教わった。 「おいタケ、鮨でも喰うか」って鮨屋に行って、オヤジさんがひとりと、若い衆が二人いれば、あの当時でひとりに祝儀を一万円渡していた。 師匠と俺の二人で握りを喰っても、一万円するかしないかの時代に、祝儀は三万円だった。 それも自分じゃ渡さない。帰りがけに俺に財布を渡して支払いをさせる。

その支払いにもタイミングがあった。 師匠が席を立つ前に渡してしまうと、鮨屋のオヤジさんは当然「師匠、ご祝儀ありがとうございました」と礼を言う。 そうすると、怒られる。

「相手にありがとうございましたと言わせるな。 そういうの俺はきらいなんだ。 ちゃんと俺が店を出てから払え」これが師匠の教え。

また、俺が師匠と仲良くなって、「師匠、鮨屋行きませんか」って誘いをかけても、首を横に振ることがあった。 「行かねえよ」 「なんでですか」 「祝儀代がねえんだよ」 鮨の金がないわけじゃない。祝儀がない。

一万円はあるけど、あと三万円の持ちあわせがねえんだって言うわけだ。 それでずっとやってきた人だから、祝儀が払えなきゃ、飯を喰いに行かない人だった。 かっこよかった。

テレビで顔を売るタイプの芸人じゃなかったけれど、さすが浅草の深見だなあって、そういうことが何回もあった。 自分の一座を持ち、全国を回って興行していた人だから、もちろん堅気ではあるのだけれど、ヤクザみたいな人でもあった。

だけど、なんといえばいいのか、骨っぽいところがちゃんとあって、そしてとびきりの照れ屋だった。 端から見ても格好のいい、大人の作法を身につけている人は、だいたい照れ屋だ。


というわけです。「大人の作法」とも「大人の粋」とも言われる、 わが下町に脈々と伝承され続けているこの類の生活態度というものは、 このようにして、伝承者をカリスマとしてあがめながらしっかりと後世代に伝えられてきたのであります。

最近、わかったのですが、この種の生活態度は山の手育ちの人には伝承されておらず、下町特有のものらしい。











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